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「デモ、警察、私/抑圧と反発の必要性」(寒川倫のエッセイ)

2015/8/26

寒川倫

寒川倫

デモの文脈で「警察」という言葉が語られるとき、大抵私たちの表情は苦い。
警察は、私たちを守ってくれる存在である。その一方で、時に彼らは私の前に立ちはだかる。
今回は、デモ隊と警察の摩擦について、的を絞って話したい。

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摩擦

この摩擦というのがどういうことなのか、デモに行ったことがない人には想像しがたいと思うので、具体的な事例を挙げて説明しよう。少し読むのが面倒くさいかもしれないが、できる限り分かりやすく書いたつもりであるし、デモで何が起きているのか把握するために必要な情報だと思うので、頑張って読んでほしい。

官邸前でのデモ隊と警察

まず、官邸前のような「定位置に大量の人間が集合する」形態のデモの場合、警察は参加者の誘導と場の整理を行う。通路の真ん中に柵を作ったり、最前線へ行く最短の経路を封鎖したりするのだ。
この官邸前での誘導に関して、多くのデモ参加者が不満を抱いているポイントは大きく分けて2つある。
まず第一に、遠回りさせられることだ。
駅の出口、ないしは駅構内に「デモ参加の方はこちらです」と言いながら誘導を行う警察官がいる場合が多いのだが、この際に提示される経路がかなり距離のある迂回路なのである。また、一定以上人数が集まってくると、交通規制で最前線へ辿り着けなくなる場合もある。官邸前だと、駅から最前線の議員演説やコールが行われる位置に行くための横断歩道が封鎖されてしまうのだ。
そのため、Twitterでは、デモの時間帯になると「道が封鎖されたのでこちらから来てください」「横断歩道が封鎖されたのでタクシーを使えば最前線まで直接来られます」などの情報が飛び交う。

第二に、効率がいいとは言えない誘導方法が取られている点である。
人間の流れを作るために通路の真ん中に置かれた柵は、人が増えてきたときに大変危険だ。人ごみの中では足元にコーンが置かれているのが見えないので、つまずいてしまうのである。大量の人間がいる中で誰かがつまずけば、大惨事に繋がりかねない。実際、デモ現場では、「コーン危ないよ!」「車道を開放して!」と叫ばれており、中には無理やりコーンをどけてしまう人もいた。
また、交通に関してはもっと個人的なトラブルを何度か見たが、ここでは書くのを控えておく。

ヘイトデモ現場での警察とデモ隊

1O_H6Szm ヘイトデモのカウンターの場合はさらに激しくなる。
ヘイトデモは参加者もカウンター側も殺気立っているので、警察は2つの集団が直接接触させないために動く。具体的には、車道を移動するヘイトデモを守るように警察官が周囲を固めつつ、ヘイトデモの進路に沿った歩道を一部封鎖して、カウンターを追いつかせないようにするのだ。
しかし前回も書いた通り、カウンターはヘイトデモをできる限り妨害することで実害を軽減するという目的があるため、ヘイトデモ隊に近づかねばならない。よって、道が封鎖されると、その都度迂回路を探して全速力で走り、レイシスト達にかじりつくのである。
この道を封鎖する警察官とカウンター側の衝突は非常に激しい。「おい警察、どっち守ってんだよ!」と叫ぶカウンターと、「何だこの野郎!」と喧嘩腰になる警察官が毎回見られる。

無力ってこういうことなのかもしれない

当たり前だが、一応断っておく。デモ参加者は一枚岩ではない。喧嘩腰になる人がいるのは確かだが、なだめ役に回る人もいるし、何も言わない人もいる。
私は警察に食ってかかったことはない。その理由は、警察は適切に働いていると思っているからではなく、やり方にどれだけ文句があろうが、現場で働いている警官にそれを言っても改善されないと考えているからである。私は警察に文句を言いたくてデモに来ているわけではないし、多分デモに抑圧的になること自体は警察という組織そのものにそういう性質が備わっているからどうしようもないんだろうな、と思う。だから官邸前最前線に続く遠回りの道は、沿道の護送車を写メしながらのんびり歩く。まあ、それぐらいは我慢する。
キレることこそないが、とにかく我慢できないのはやはりヘイトデモのカウンターの際の歩道封鎖だ。警察による物理的な道の封鎖(極めて俗な言葉で言ってしまえば「通せんぼ」)は、この国がヘイトスピーチを規制する手立てを持たないことをひしひしと感じさせる辛い行為である。私たちがヘイトデモに追いつくために走っている間は、誰も咎めずにヘイトデモの列が動いているのだ。それがもう許せない。歩道封鎖さえなければもっと被害は食い止められたのに、と感じてしまう。
ヘイトスピーチが法規制されてさえいれば、私が「ヘイトデモに攻撃的な態度を取ってもいいのだろうか」とか「ヘイトデモを囲む警察官に腹を立ててしまうがどうしようもない」といったことで悩む必要は、全くないはずなのだ。
我々デモ隊が無力だとしたら、そういう部分なんだろうな、と思う。私たちは法を守って生きている。だから警察の言うことには従うし、デモ以外の場所ではたくさん警察にお世話になっている。だからこそ、デモの場面では少し悲しい。私にとってはデモも日常だし、抑圧されなくても、警戒されなくても、言いたいことを言っているだけだ。ただ、分かっている。デモ隊は私だけではないし、私も「正しさ」ではない。
どうにかならないのかなあ。

 

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寒川倫

寒川倫

1995年生まれの大学3年生。イラク戦争の頃にデモに初参加し、現在も一人でデモに出ている。「正しい倫理子」名義でねとらぼなどで執筆中。

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