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橋下市長と袂を分かち自民党の右上をゆく!保守政党・次世代の党の歴史

2015/9/1

選挙ドットコム編集部

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結党から1年を迎え、中山恭子新党首のもと、新たな時代へと舵を切った「次世代の党」。結党前から、今日までの流れを振り返ってみたいと思います。

「たちあがれ日本」から「日本維新の会」への合流と決裂

次世代の党に至る系譜は、2010年4月に結党の「たちあがれ日本」にまで遡ります。次世代の党初代党首である平沼赳夫氏が代表となり、新党首となる中山恭子参議院議員も合流。国会議員5人でスタートした「たちあがれ日本」は、12年11月、新党結成を模索していた石原慎太郎氏を共同代表に迎え、党名を「太陽の党」に改称。

その後、橋下徹氏が代表を務める「日本維新の会」に合流し、13年1月に、石原・橋下氏の共同代表という形をとりました。2人は、「親子のような関係」と言われ注目を集めましたが、14年春、当時大阪都構想に関わる統一地方選挙戦に向けて、野党再編を急ぐ橋下氏が「結いの党」との合併に向けて準備を進めるのに対し、石原氏は「集団的自衛権や自主憲法制定の問題など、政策の隔たりが大きい」と合併を拒否。同年5月29日、保守政党としての譲れない一線を守り、維新の会と袂を分かつことになりました。

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同年8月1日、維新からは石原氏に近い、平沼赳夫氏や藤井孝男氏、山田宏氏ら石原グループで衆参両院の22人が参加し「次世代の党」を結党。初代党首に平沼氏が、幹事長に山田氏が、石原氏は最高顧問に着任しました。16日に開いた党大会で、平沼党首は「野党だが、是々非々で日本のためになるものは積極的に賛成していく」と政策によっては与党と協力する方針を明言。正しい国家観と歴史観を持つ日本人を育てる教育など、保守色を前面に出しました。

党の基本理念「自主憲法を創り上げる」

党名は、新党結成の際のメンバーから計84案が提出され、「次世代の党」のほか、「自由立憲党」「新党富士」「日本改新党」「れいめい日本」の5案が有力候補として上がっていたそうです。その中から、石原氏ら党名策定委員会が全会一致で選んだのが「次世代の党」。当時、石原氏は報道陣に対し、「若い人が将来に期待を持てる社会にしていく」という思いを込めたと語っています。現在の党のホームページの冒頭でも「子や孫の世代に、平和で豊かな、より良い日本で暮らしてほしい」と書かれています。

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他党との合併を拒否し、党結成のきっかけにもなった、悲願とも言える最も重要な政策は「国民の手による新しい憲法、すなわち自主憲法を創り上げる」こと。綱領には、その理念として、「自立」「新保守」「次世代」という3つの言葉が並び、それらの言葉については、

  • 自立=「中央集権・官僚支配体制とその規制に守られた既得権益を打破するとともに、衆知を集める「賢く強い政府」を実現する(中略)」
  • 新保守=「規律ある自由な社会を創る。リベラリズムの衣をまとった社会主義思想は排除し、闘う保守を貫く(同)」
  • 次世代=「子供や孫、まだ生まれぬ将来世代の視点に立って、戦後半世紀以上にわたって放置されてきた根本問題に取り組む(同)」

と説明がなされています。(詳細な政策についてはこちら)毎日新聞は2日の朝刊で「分党により、純化が進み、保守色が鮮明になった」と報じています。

初の選挙戦「自民党よりも右」に立ち位置、19議席から2議席へ

安倍首相は同年11月、消費税先送り決定の判断について国民に是非を問うとして衆院を解散。次世代の党にとって、初の国政選挙が行われることになりました。

スクリーンショット 2015-08-31 23.22.07選挙に向け、党は22日には党政策集をホームページなどで公開。平沼代表は、毎日新聞(11月27日朝刊)の取材に対し、争点のひとつとなったアベノミクスについて、「金融緩和や財政出動は株価上昇や一部の輸出企業の収益改善などについては一定の評価ができる」とした一方、「地方創生や女性活用など成長戦略に具体性がない」と批判。消費税については、現時点での増税は反対としつつ、「中長期的には選択の余地のない課題」としました。翌月2日の公示後、日本記者クラブで行われた討論会でも、平沼氏は、アベノミクスや集団的自衛権の確立、原発の再稼動について評価するとし、与党との協調の姿勢が目立ちました。

選挙戦の間、党勢は拡大したように思えました。みんなの党を離党した江口克彦参院議員、松沢成文参院議員、和田政宗参院議員、無所属の浜田和幸参院議員、太陽の党から西村真悟氏、田母神俊雄氏が入党。結局、選挙区からは39人(新顔21人、前職15人、元職3人)、比例区からは45人(単独9人、重複36人)が立候補し、「自民党よりも右」を立ち位置に初の選挙戦に臨みました。(候補者一覧スクリーンショット 2015-09-01 18.31.27

また、比例東京ブロックの最下位に当たる9位で立候補した党最高顧問の石原氏は、公示後、愛媛県であった衆院愛媛4区の公認候補の国政報告会で講演し、この選挙を最後に政界を引退することを表明。名簿順については「若い人を育てるため」と語りました。

しかし、結果は選挙区から立候補した平沼氏と園田博之氏の2人の当選に留まり、議席を19から大幅に減らしてしまうことになりました。

統一地方選、苦しい戦い

続けて、15年春に行われた統一地方選では、重点政策を「日本の底力を取り戻す」とし、子どもが多い世帯ほど手当を増やす「傾斜型児童手当」の創設や、地方のものづくり支援、地方で雇用を増やした企業への恒久的減税措置などの地方対策の3本柱を発表。

4月に行われた前半戦は13の府県議会選に6人を公認、7人を推薦し戦いましたが、結果は推薦した4人の当選に留まり、公認からの当選者はなし。17の政令指定都市であった市議会議員選でも推薦した6人のうち、2人が当選したものの、公認は10人のうち、1人の当選に留まりました。松沢幹事長は「大変厳しい状況。組織力の乏しい党としては、投票率の低さが大きな原因」と談話を公表。(次世代の党前半戦結果

スクリーンショット 2015-08-31 23.16.54後半戦では、51の首長・一般市議会・町議会・都区議会選挙で33人を公認、18人を推薦し、公認した8人、推薦した11人が当選しました。(後半戦結果

5月1日には、太陽の党が解散し、次世代の党に合併。1月に、次世代の党から国会議員が不在だった太陽の党に移籍し、党首を務めた園田氏が次世代の党に顧問とした復帰しました。これにより、次世代の党の国会議員は衆院2人、参院6人の計8人となりましたが、6月、自民党の茂木敏充選対委員長は熊本市で会見し、臨時国会までに園田氏が復党することを示唆しました。

平沼氏から中山新党首へ

0018月11日、平沼党首は、28日告示の党首選に出馬しない意向を明らかにしました。理由に、衆院選の結果をあげ「党首として責任を感じなければならない」と語り、新党首には6人いる参院の中から選んでほしいと提案。関係者からは、後任として松沢幹事長と中山恭子元拉致問題担当相の名前があがっていましたが、27日、松沢幹事長は路線対立を理由に離党。翌日に行われた告示で、中山氏が無投票で当選することが決まりました。任期は10月1日から2年。幹事長には和田政宗政調会長が兼務することが発表されました。

中山新党首は、編集部の取材に「自分のためでなく、日本という国、社会のために役立つ仕事をしていきたい」と語っています。

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2023年に年間1億PVを突破した国内最大級の政治・選挙ポータルサイト「選挙ドットコム」を運営しています。元地方議員、元選挙プランナー、大手メディアのニュースサイト制作・編集、地方選挙に関する専門紙記者など様々な経験を持つ『選挙好き』な変わった人々が、『選挙をもっとオモシロク』を合言葉に、選挙や政治家に関連するニュース、コラム、インタビューなど、様々なコンテンツを発信していきます。

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