書籍:『アコギなのかリッパなのか 佐倉聖の事件簿』
著者:畠中 恵
出版:新潮社
発行:2012.2.27
緩いというか、ぬるい。ユーモア・ミステリと銘打っているにもかかわらず、謎解きは主人公の推察披露に頼るばかりで、それには後に回収されるべき伏線もなければ、読者が登場人物と一緒になって頭を悩ませ、問題解決に挑むプロセスを楽しむというミステリの醍醐味もない。
『アコギなのかリッパなのか』の主人公・佐倉聖は元暴走族のヤンキーあがりで、今は腹違いの中学生の弟を養う大学生。両親は離婚し、頼れる存在と言えば、勤務先の元大物政治家・大堂剛のみ。聖は事務員として大堂の事務所で世話になりながら大学に通い、日々もたらされる大小さまざまな案件に対処していく。
どれほどにも展開していけそうな膨らませがいのある設定にも関わらず、事件に関しても聖の生い立ちについても突っ込んだ描写はあまりない。淡々とストーリーを進めるのが、著者の持ち味なのだろうか。
著者・畠中恵は『しゃばけ』で一躍名を上げた小説家だ。有権者の前では妖怪のように七変化する政治家が題材にあげられているという点では『しゃばけ』に通じるものもあるかもしれないが、本書は時代小説ではない。では、畠中恵が書く本書の魅力とは何か。
それはおそらく、大した緊急性もないけれど当人たちにとっては「事件」である出来事を丁寧に追う姿を描くことで、議員事務所の日々の雑然さを浮き彫りにしていることにある。それによって「議員はあなたのために動く」と書かなくても、読者には議員が身近な存在に感じられる。有権者からもたらされる陳情の多くは、「放っておけよ」とでも言いたくなる内輪の問題だが、そこに「議員が解決に手を貸した」という事実を盛り込むことで、議員およびその秘書、事務員が日ごろからいかに有権者を気にして骨を折っているのかが推察できる。
例えば、選挙目前にもたらされた「夫がダイエットに協力しない」というご婦人の悩みの底には、郊外の大型スーパーに押されつつある商店街の窮状があった。やることが山積みの中で問題点を探り、打開策まで提案する聖の対応の鮮やかさは心地良いが、あまりにも些細な展開のせいか、読み手が共感する面白味はない。著者があえてそうした日常を描こうと筆を進めたのだとしたら、畠中恵、なかなかの食わせ者である。
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